過剰医療、医療費増大が叫ばれている。高齢者の2割負担(個人的には3割と言ってほしかった)や湿布や保湿剤の保険適応の見直しが検討されている。湿布は気休めだし、湿布も保湿剤は薬局で買える。欲しがる人が多いがはっきり言って要求されるたびにイライラしている。薬局で買えよと。ひどい人は病院で格安で仕入れて他人に配ったり売ったりするらしい。
「寝たきり老人は穏やかに看取りましょう」というネットの声とは裏腹に現実にそれを自分の親に望む人は少ないと以前書いた。本当にそれで解決するのだろうか。高齢者で骨折、認知症、廃用などで歩けなくなる人は少なくない。自宅で家族がお世話する場合もあるし、施設に入られる方もいる。寝たきりだから、心臓や肺や認知機能が悪いからといってそうした人々はすぐに亡くなるわけではない。食事が摂れていれば別に胃ろうや中心静脈栄養などせずとも数年スパンで生きていくのだ。90歳の人が一年以内に亡くなる確率は30%位だったと記憶している(数字は曖昧だが50%以下は間違いない)。でもベッド上から動けず、食事の準備と下の世話は誰かがやらなければいけない。この高齢者の世話をするためには訪問介護や訪問看護などを使うとしてもフルタイムで働くことは難しい。何より仕事をせずに高齢の親の世話を日常に組み込むことは少なくとも自分は無理だ。
こうした高齢者は少なくとも2050年代までは増え続ける。寝たきり高齢者を胃ろうや気切で延命するなと叫んだところで、寝たきりになって、飯を食っていればそうした人々を見る施設の需要は増えるのだ。まさか寝たきりや認知症になったからといって安楽死にしなさいという過激な方向に政治が動くことはないだろうから。
こうした人々の施設や慢性期病院はどうしたって必要だ。自分もそうした病院でも勤務している。じゃあそうした人が肺炎や尿路感染症で苦しそうならどうするのか。うっ血で苦しがっている時に利尿薬を使わないのか。そうした人の苦痛をとりつつ寿命を延ばすような治療だってある。認知症のひとだって肺炎になれば呼吸が苦しいし、足が折れれば痛い。寝たきりや認知症の患者にはそうした治療も一切すべきではないのだろうか。する人としない人の判断は何でするのか。年齢なのか認知機能なのかADLなのか。
上記はいずれも法律や医師会、各種学会のガイドラインでもほとんど規定がない。現場の判断に任されているのが現状だ。
アルバイトその他で私は慢性期病院にも勤めており、そこからも生活の糧を得ている(時間的体力的なリソースは急性期がメインだが)。そうした病棟で疎通不能な寝たきり患者の診察をするといつも思う。「こうはなりたくないな、こうなる前に死にたいな」と。ほとんどの人はそう思うはずだ。長生きしたい、〇〇をまだやり残しているという患者は多い。しかし、認知症でわからなくなろうが、下の世話を他人に委ねようがとにかく生存していたいという人にはあったことがない。
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