肺癌の診療を日常的に行っている。内科領域の肺癌は厳しい。予後がここ十年で相当延びた、まるで治ったかのように振る舞う患者もいる、などとは言われるものの、まだ厳しい。診断できても治療できるほどの体力がない人もいれば、治療の反応性が悪い人もいる。悪性腫瘍の罹患率のトップは肺癌ではないが、死因のトップは肺癌だ。他、間質性肺炎やCOPDなど、時に致死的になる疾患も、呼吸器内科には多い。
全身状態が厳しく、入院した(例えば肺炎を起こしたなど)。肺炎は治ったがもう肺癌の治療を行うことは厳しい。しかし患者の予測される予後はまだ数か月残っている。こういう状況は毎週のように経験する。慣れ親しんだ病院でそのまま最期まで診療できればよいが、制度上全員をそうするわけにはいかない。それでは急性期の病院がパンクしてしまうからだ。
そのような患者の選択肢は基本的には2つ。自宅に帰って在宅診療を受けるか、あるいは慢性期病院(老人病院、療養型病院と言い換えられる)に転院するかだ。ここで問題が発生する。自分が余命いくばくもないと分かった時、最期を迎える場所を人はどうしたいだろうか。ほとんどの人が慣れ親しんだ自宅に帰りたいと思うのではないだろうか。ならみんな在宅診療クリニックに紹介すればいいではないかとはならない。訪問診療、訪問介護や看護が受けられる時間は限られるからだ。基本的には身体の弱った患者を誰かが世話をしなくてはならないのだ。下の世話も含めてだ。自分なら、自分の実子以外の下の世話を日常的にするのは無理だ。ならば皆慢性期病院に紹介するでは、患者の意向を無視していることになる。
順番としてはまず患者の意向を聞く。今まで数百人に同じような質問をしたところ、ざっくり「自宅に帰りたい」と「慢性期病院を探してくれ」の半々に分かれた。しかし後者は「(家族が私の世話をするのが大変で忍びないから)慢性期病院を探してくれ」と言っているのだ。心から「自宅よりプロの介護が受けられる慢性期病院に移りたい」といった人はほとんどいない。家族だって難しい。現実的にお世話ができるのか(患者を最期まで自宅でみるなら基本的にはフルタイムで働くのは無理だ)。しかし患者が家に帰りたいことはわかっている。それを無視できない・・・。
患者の希望には制度と体制が許す限り添いたいが、心情的にはむしろ家族を気遣い自分の最期の希望を押し殺す人こそ、自宅に帰してあげたいと思ってしまう。終末期医療は突き詰めると大変難しい。医学的な難しさではなく、患者と家族、家庭環境と心情を把握することの難しさだ。望んだ場所で、望んだ形で最期を迎えてもらう。医者の非常に大切な仕事だ。もしかすると肺癌を治す仕事よりも尊いことなのかもしれない。
コメント