研修医時代の思い出

研修医時代はとにかくつらかった。とにかく役に立たないからだ。要領が悪く、勉強も不十分なまま国家試験になんとか合格した自分だ。使えない研修医と看護師や指導医は思っていたことだろう。そして自分もそれを自覚していた。どんな仕事でも自分が不要だ、役立たずだ、いなくてもよいと感じることは何よりもつらい。「何もしなくても、役に立たなくても給料がもらえれば最高」「出勤していれば研修は終了できる」「窓際族を目指したい」そんな強メンタルを持ち合わせられる人などほとんどいない。

特に麻酔科だ。研修で義務付けられており、2か月研修した。医師国家試験では、当時は500問出題がある。その内麻酔科に関する問題はせいぜい1-2問。ほとんど勉強することなく研修に入った。一緒に回った同期は麻酔科志望、成績優秀、要領もよく、指導医達にも大変気に入られていた。一方私はどんくさく、勉強不足の、内科志望だ。「できる方とできない方」とはっきり色分けされていただろう。カンファレンスや抄読会でも詰められ、挿管や末梢点滴なども苦手で(色々経験して、今は特に苦手意識はないし、成功率も悪くない)、とにかく早く研修期間を終了したかった。指導医も厳しい先生がとにかく詰める詰める。私は一生手術室で仕事をしないとまで思ったほどだ。10年ほどたって、挿管はじめ手技の指導や一部の優しい先生の指導などを受けられてよかったなあと思うが、医者人生で最もつらかった時間の一つである。

好んで長い時間回ったのは救急科だ。理由は単純で役に立ったと実感がもてるからだ。研修医が一番役にたつのは救急外来であろう。小規模病院で研修した時など、内科で研修しながら自ら志願し救急ピッチをもっていた。今思うと正気かと思うが、役に立つことに飢えていたのだろう。

どんな科でも得るものも、無駄な時間もあると思う。だから一生懸命頑張れ、などと綺麗ごとは言う気はないし思ってもいない。何かを回るかより、指導医との人間的な相性が大事だと感じる。最悪の相性だった科などは本当にいやな思いを(指導医とお互いに)しただけで、何も得るものがなかった。

意識低い系医師としては研修で最も大事なことは研修を終わらせることだ。今つらい研修医の人も、指導医など数か月で合わなくなるのだ。自分が大っ嫌いだった以前の他科の指導医からコンサルトがきたことがあった。「ガイドラインでは〇〇ですが、この検査をしておられないのはなぜですか?」みたいな感じで、小さな復讐を楽しんだ。自分は本当に人間が小さい。

研修医で病んでしまう、研修を中断してしまう先生がいる。肩の力を抜いて研修をしてほしい。自分のように医学的に復讐することを楽しみにするでもよし、いずれいやな先生やスタッフ、いやな患者とは関わらなくなるのだからと達観するでもよいと思う。研修は何を学べるかも大事かもしれないが、最も大事なことは研修を終わらせることだ。大事なことなので2回言いました。

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