会議の意味のなさ

会議って意味がないと思う。大体一番偉い人、声の大きな人の意見が通るからだ。忌憚のなき意見を、とか、下の者の声も届けたいだの言っても、結局はそれが結論になる場合はほとんどない。私は上の立場で会議に出たことがないので、「偉い人」達がどう考えているのかわからないが、下の立場の者が、上の人と違う意見を言って、なおかつそれを他の人たちに認めさせることは容易ではない。

下の立場である自分としては、まず上に逆らってまで通したい意見などほとんどない。意見を言うような場合は利害関係も考える。「こういうと上司や後輩、同僚はどう思うだろうか、気を悪くしないだろうか」とか、「〇〇さんは機嫌が悪そうだから、あえて反対の意見を言うのはやめよう」などである。

医師同士のカンファレンスでも同様だ。全症例を若手がプレゼンして、全員の目を通す意味は全くない。まだ経験の浅い医師であったとしても、せいぜい一人か二人の上司と共有すれば十分だ。職場では自分より若手の先生の方が多くなったが、治療方針の判断に迷う症例は10人に1人くらい。それもすぐ相談できる先輩や同期と共有すれば決定できる。全員で共有すべきは重症例と本当に判断が微妙になり、かつ患者の予後を大きく左右する場合のみでいい。

一番効果の期待できる〇〇という薬を使ったが副作用がでて患者が元気がなくなった。他の選択肢がなかったので△△を使ったが、意外とよく効いた、など、そこそこの医師同士で意見が別れるような場合は、よい治療であったかどうかは結果論でしか語れないことが多い。また抗癌剤の選択などの際に顕著だが、患者の数値化できない「元気さ」「いきの良さ」なども選択の理由(場合によっては決め手)になる。その辺はカンファレンスで患者不在の中話し合っても結論は出ないのだ。結局主治医判断で、ということになる。

自分のように中堅の医師であればまだよいが、「何を議論しているかもわからない」研修医や他科の医師にとっては最悪だ。略語の意味もわからず、議論のポイントなどわかろうはずもない。寝るなという方が無理だ。

そうした無駄な会議を週に数時間やっている。

医師の働き方改革が2024年から始まる。どうも残業代が減るだけになるようだ。概要しか知らないが、業務量や患者の数、求められる医療のレベルが変わらないことは明白だ。「働き方改革が始まったので、あなたの医療レベルを下げますね」では患者が納得するはずもない。確かにコンビニ受診や救急車の不適切利用といった患者側の常識も引き上げてほしいが、無駄な会議を減らす努力も我々医療者はすべきだ。時間通りに全員集合、定時には終わらせる、といった努力が私の周りでは全くなされていない。むしろ「あと一例出していいですか」というとほめられる節すらある。また最近の若手に多いのは「責任を分散したい」から、カンファレンスに提示し、自分のみの意見ではなく、科の意見としてしまう。それはそれで大切なことなのかもしれないが、責任を負わなければ知識や技術は成長しがたいと自分は感じる。

自分はカンファレンスが大嫌いだ。主治医が決定し、責任を負う。主治医がその責任の元、自分では対処できないと判断したら、他科の医師なり上司なりにふって助けを求める。それで業務時間は30%くらい減りそうだ。あるいはその空いた時間を重症例のための勉強なり、会議に充てる。働き方改革を嘆く前に業務時間を減らす努力をしよう。それが良い医療にもつながると信じている。

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