激務でつらかった時の話

県内最大の医療機関で3年勤めた。昨今の働き方改革はまるで無視の、「完全主治医制、24時間いつでも電話が鳴りうる」という環境だった。ちなみに2024年4月現在もそうらしい。私の勤めた3年だけでも心身を病んで退職した医師が何人もいる。そんな場所だった。

自分のレベルはさておき、提供される医療の質としては県内最高峰であり、「最後の砦」として機能している病院だった。いわゆる断らない救急も掲げており、地域住民からの信頼も厚かった。そうした良質な医療は若手医師の労働基準法を無視した働き方に依存していた。

まず入院が10人以上常にいた。10人ぐらいで、という医師もいるかもしれないが、3年間ほぼ常にだ。時折内科医に訪れる、患者が途切れてふっと休めるといった期間はほとんどなかった。外来は午前のみで多いと50人を超える。肺癌始め重篤な、手のかかる患者も多い。というより、手のかからない軽傷、安定した患者が少ない。当然午前には終わらず午後にずれこむ。その間も病棟からの電話は鳴りやまない。

救急当直も定期的に回ってくる。多いと月4回。細切れの数十分-1時間程度の睡眠が何度かとれるかどうかだ。さらに次の日は普通に勤務がある。徹夜で救急対応をした後50人の外来患者を診察するのだ。40時間不眠不休で働いたこともあった。

手技も多かった。気管支鏡検査が多いと週に15件。これがかなり多い数字だと呼吸器内科以外はわからないかもしれない。自分は気管支鏡は好きだったが、それ以外の業務に圧迫されすぎており、きつかった。救急当直の後などは気管支鏡が終わったら、女医の後輩と気管支鏡控室によく転がっていたものだ。

さらにつらかったのは他科の先生との連携だ。多くは医師として腕が素晴らしかったり、人格的に優れていたりと良い出会いも多かった。しかし超急性期病院のため、武闘派の先生も多い。患者を回すときなどヤクザ顔負けの恫喝を受けたこともあった。

自分がかなり荒んでいくことも自覚していた。聞き分けの悪い患者など診療したくない、なぜこんな奴に俺の時間がとられなくてはならないのだ。そうした陰性感情が抑えられなかった。人は忙しすぎると荒む。夫婦喧嘩も増えた。なぜこの激務をこなして家族を養っている自分を妻はいたわらないのか。本気でそんなことを思っていた。

なんとか与えられた任期を終えた。症例をシャワーのように浴びて、勉強になった、その後の診療の礎となった側面も大きい。友人や先輩後輩も増えた。これは完全に生存バイアスであり、病んでしまった医師は私が知るだけでも両の指では足りない。もう一回やれと言われたら死んでも断るだろう。

働き方改革はこのような働き方を是正する一手になるようにはとても思えないけれど。

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