医師という職業と医師という生き方

「昔の先生は医師という生き方を選択しており、昨今の医師は医師という職業を選択している。だから話がかみ合わない。」という旨のポストをXでみた。ある種核心をついた言い回しであるように思う。

医師という生き方を選択したのだから、電車で「どなたかお医者様はいませんか」と言われれば進んで助けにいく。その後患者が不幸な転帰を辿り、訴えられるなどのストレスがかかるかもしれないが、医師という生き方を選択したのだから、義を見てせざるは勇無きなりである。

病院に泊まり込みだって当たり前だ。患者の容体が思わしくないのだから。時間外手当が出る出ないなど問題ではない。病に苦しむ人がいればプライベートなど犠牲にして当たり前だ。だって自分の生き方は医師なのだから。昨今の働き方改革などけしからん。医師という生き方はそんなものではないのだ。

自己研鑽、医学の勉強を日々行うことは当たり前だ。最良の治療を選択できなくてどうする。研修医が終われば即美容外科へ進む「直美」などはけしからん。女の子の顔の造形をよくするより病を治したり、まだ見ぬ治療を開発すべく研究する方がよほどやりがいがある仕事ではないか。

上記が大体「医師という生き方」の見本というか概算であろう。職人としては素晴らしい気もするが、実際にやるとなると、なんとも窮屈で息苦しそうな生き方ではないか。

「職業医師」の場合はどうか。

電車で「どなたかお医者様はいませんか」などと言われても手を挙げたところでメリットはない。ただ訴訟リスクを負うだけだ。病院に泊まり込み?17時以降は当直医の仕事だ、必要な指示や投薬、申し送りはするが実務は当直医がやればよい。自分も当直中なら他の患者だってみますよ。医師だって人間、プライベートを削ってサービス残業などしてたまるか。

勉強はします。だって患者に訴えられたり同僚に馬鹿にされたり、上司からの扱いが悪くなるからね。ガイドラインに書いてあるかどうかが大切です。「直美」だって選択肢です。むしろ「直美」が経済的には合理的です。美容整形だって需要があるから成り立っている立派な仕事だ。給料は変わらないのに負担の大きい外科など進路にする人の気が知れない。

こんなところだろうか。

どちらかに振り切れている人は幸せだ。「医師とはかくあるべし」と業務と勉強に邁進し、仕事のために生きているような人はそれが素晴らしいと信じてやまないのだろう。自分の技量の向上や患者の喜びが全てであり、そこに迷いはない。

一方で「医師業は効率的に稼ぐ手段」として割り切っていられる人もまた幸せである。訴えられず、安全に、自分の仕事をこなせればよい。待遇が悪化したとはいえ、20歳代で1000万円を超える年収が得られる。患者が悪くなったとしても、標準治療を行った結果ですと胸を張れる。そうして得たお金で趣味や家庭を充実させる。

不幸なことに、大多数はどちらにも「振り切れて」はいないのである。患者をよくするために力を尽くそう。しかし行うことは標準治療だ。それ以上の治療はできない。自己流のやり方でうまくいかなかった場合訴えられるのもいやだ。患者が急変したり、手がいるときは多少のサービス残業もしよう。しかし業務が終われば一刻も早く帰りたい。負担の大きい科はいやだ。しかし興味をもって、やりがいをもって働ける環境がいい。適正な給料は欲しい。貧乏暇なしはいやだ。論文や教科書を年がら年中読むことは息が詰まる。しかし患者がいるからたまには勉強してみようか。美容整形や訪問診療に進むのは周りの目も気になる。保険診療から逃げたと思われるのもいやだ。しかし当直のない高収入は心惹かれる。医療のある分野でひとかどの医師になりたい思いはある。しかしそのために若い時期の一定期間、非人道的な環境に身をおくのはいやだ・・・

人はそんなに割り切れないのだ。

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