医者や患者の悪口も書いているが、これはいい意味ですごい患者について書く。
患者には共感的態度をとれと教科書には書いてある。あくまでも共感的態度であって、共感しなさいとは書いていない。共感などできないし、共感していては仕事にならないからだ。
呼吸器内科はある一定規模以上の医療機関だと、肺癌内科の様相を呈する。特に入院患者は高度医療機関においては肺癌が多いのだ。10人の入院患者の内8人が肺癌である、という状況も珍しくない。
肺癌患者の苦痛への対応を書いていきたい。
日本のガイドラインにおいては癌患者の苦痛は4つに分類される。
①身体的苦痛
これはまさに医者の出番だ。痛みの性質や身体所見から局在を明確にさせ、最も有効な除痛薬を処方したり、原因(すなわち癌そのもの)の治療を行ったりする。痛みが常にある状態というと、健常人だと、歯の痛みであったり、ケガをしたときやコロナなど上気道感染の咽頭痛だろうか。ある程度時間経過で改善することが多いので、健常人は癌患者の疼痛については想像する他ない。適切な治療で対応可能であるが、痛みがとれてすっきりとはいかないことが多い。医者の腕の見せ所だが、非常に手ごわい。
②社会的苦痛
金銭的な苦痛や仕事ができない、社会生活が健常人と同じようには送れないつらさだ。「お金を稼げず家族に負担をかけている」「仕事が入院中できず、同僚に負担をかけている」などと表現される。せいぜい介護認定や診断書の記載ぐらいで、医者が立ち入れる範囲は非常に限定的である。自分が病気なら、金や仕事のことは担当医に話してもしょうがないと思うのではないか。
③精神的苦痛
病状が進行する、いつまで命があるかわからない、治療がうまくいかないかもしれないといった苦痛だ。治療が上手くいっているときや、根治を目指した治療ができている内はまだよいが、StageⅣの肺癌の場合、多くはそうはいかない。効果がでるか不安な中、治療を受け、副作用に悩みながら生活する。「先生に任せてますから」とどんと構えている患者もいるが、それを言葉通り受け取るわけにはいかない。肺癌が進行した場合、手のひらを返して怒り出す、泣き出す患者も多い。可能な限り不安がない状態で生きてもらいたいが、病状についてはシビアな話をせざるをえないのだ。この点も医者の介入できる要素は非常に少ない。傾聴、一生懸命治療していることを患者にもわかるようにする、くらいであろうか。
④スピリチュアルペイン
精神的苦痛と区別が難しい場合もある。「なぜこんな病気になってしまったのか」「タバコを吸った自業自得なのだろうか」「衰弱してできることがどんどんなくなっていってしまう」といった、生そのものへの意義を見失うつらさだ。個人的見解だが、②③に輪をかけて、医者ができることは皆無に近い。
さて、4つの苦痛の内3つは、医者が介入できる要素が少ないと書いた。私がやってはいけない、絶対にしないと決めていることは共感した気になる、わかったつもりになることだ。多くの場合は患者は人生の先輩であり、そこに至るまで様々な人との関わりや経験がある。死生観も人それぞれだ。間違ってもつながりの薄い医者や看護師が「つらいね、わかるよ」などと言ってはいけない領域だと思っている。「つらいのですね」で踏み込むことを止めなくてはならない。その上で、「できることは力の限りやりますよ」というメッセージを診療を通して送ることが自分の限界だ。
過去に何人か、死の際にある患者が「先生に診てもらえてよかった」とか、「先生も奥さんと子どもを大事にね」だの、「俺はもうすぐ死ぬのはわかるが、残す独身の娘が心配だ。先生もらってくれねーか」といった、ある種の諦観の中にある明るさをみせてくれた方々がいる。自分がどれほどの苦痛の中にあっても、他者へのサービスや思いやりを忘れない、なんと立派な人なのだろうと思う。そんな人の死亡診断書を書くことは何度経験しても慣れない。
長く見てきたそんな立派な人を、最近見送った。プロなので泣かないが、無力感はぬぐえない。
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