救急外来という検査や治療を提供する場で、しばしば介護が必要なため搬送されてくる患者がいる。
一例を紹介する。自宅で動けなくなって、あるいは世話ができなくなって、高齢者が運ばれてくる。誤嚥性肺炎を起こしている。まあ高齢者だし、食事も食べられなさそうだし、少し酸素化も悪いし入院で治療しよう。これは日本全国でありふれた救急外来の現場のシーンだろう。
入院してやることは簡単に言えば点滴で抗菌薬を投与することだ。肺炎だと期間は1-2週間くらいだ。再度誤嚥したり、別の病気が見つかったりしなければ誤嚥性肺炎はそれくらいの期間で治癒する。やれ培養の検査がどうだ、リハビリがどうだ、口腔内衛生環境がどうだと細かいことは色々やるのだが、一般的な抗菌薬を使っていれば概ね肺炎自体は治る。
内科医を疲弊させているのはそのあとだ。すんなり自宅に帰ることができればこれほど楽な仕事はない。入院それ自体でADLが落ちる。そもそも元々ギリギリのところで暮らしていた。他の病気が見つかってしまう。家族は世話ができないと言っている。施設を探すのか、かかりつけ医に返すのか、再度誤嚥するリスクはどうか、食事はどうするのか・・・。肺炎は治っている。この後の患者の問題の大部分は介護なのだ。治療がメインではない。
この介護の問題の部分に急性期病院の多くのリソースが割かれてしまっている。お金も人手もベッドも使われてしまうのだ。そしてその介護を要する老人は増え、働き手に当たる若者は減っていく。どこかで手を打たなければならない。介護と治療を区分する必要がある。
先日Xで親の自宅退院に向けたあるあるを投稿したところ激しくバズった。主介護者でないものの声が大きく、金も手も出さないくせに主張はすごいことを揶揄したあるあるネタのつもりである。
親の介護問題は多くの人がいつか直面する問題である。治療と介護は分けられるべきだ。
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