「昨今の医師はなっとらん。コスパや給料、休日ばかりを気にしていて、時間外労働を嫌う。医師たるもの若手の内は病院泊まり込み、患者のそばに居続けて当たり前。そうでなくては実力は身につかない。そうでないやつに手術や症例の順番など回さない。私の若い頃は・・・」
老害と呼ばれそうな、でも腕は確かな先生が言いそうなことを書いてみた。昨今は叩かれまくりそうな言葉だが、真実を多分に含んでいる。まず大前提として、病気は9時‐17時に起こるわけではない。時間外労働をいくら嫌ったところで、定められた業務時間外に疾患が発生する、増悪する場合は多々ある。その経験がつめるのは時間外である。時間外労働をする方が経験がつめる。手術や私が力を注いでいた気管支鏡の手技などはどうしてもNの壁を超えられない。センスがある人が200例分の経験を100例でつめるかもしれないが、100例しかやっていない医者が1000例やった医者より上手いということはありえない。病院に泊まり込みが当たり前→これは甚だ疑問である。泊まり込んだところで患者の予後が変わるケースなどごく稀。帰られるのであれば帰るべきだ。そうでなくては実力が身につかないのであればそれは教育体制の問題である。
そうして時間外も身を粉にして働いた分の給料は適切に出されるべきだし出してほしいという気持ちももっともである。
手術や症例はやはり熱心な若手の方が多く回ってくるだろう。情熱をもって自己研鑽している、時間外も辞さない若手とそうでない若手。どちらに経験をつませたいかと聞かれれば答えは自明だ。
おそらく上記の老害発言をするような先生はそうした過酷な労働を乗り越え、勉強し、自分の血肉として腕を磨かれたのだろう。さらに多くの場合は才能もあり、そうした環境を楽しめていた場合が多いだろう。この発言の問題点はこの生存者バイアス(のみ)だ。
過労死や鬱を患うほどの労働環境に長年身を置ける人はそう多くはない。様々な負荷で臨床の第一線から退く、身体や心を壊してしまう医師をたくさん見てきた。少し回復するのを待って「まったりと」医師をやっている人もいるし、医師業をしていない、することができない人もいる。どうなってしまったかわからない、誰も知らないという人もいる。
ハイパーに働いて数年で燃え尽きてしまうのであれば、だらだらまったりでも30年やれる方が、社会貢献度も、救える患者の数も、納税額も大きい。コスパや休日など度外視して腕を磨きたい医師は存分にそうしたらいいが、そうでない医者、体力や精神力が平均値以下の(自分のような)医者も適切に働ける、社会貢献できるような教育体制が必要である。ハイパーでなければ実力を身に着けることができない。それはすなわち医学教育の敗北ではないか。自分は若手医師には「患者急変以外の理由での時間外労働は極力するな」と伝えていく。
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