好きなことで生きていく②

大半の人は自分が何が好きかわかっていないのではないか、と思う。周りの目や経済的に報われるかどうかなどを度外視して、本質的な意味で「好き」なことがわかっていないだけなのではないか。酒、食、女(男)を除いて、本当にしたいことを自分自身で真剣に考えたことがある人がどれほどいるのだろうか。

いい女を抱きたいし、美味しいものを食べたいし、妻子に衣食住を不自由なく提供したいから、さして「好き」ではないけれど医師業を続ける。そのさして好きではない医師業も滞りなく行いたいし、関わった患者をできる限りHappyにしたいから、やはりさして好きではないけれど勉強もする。日々はさして好きでないことで埋め尽くされている。そしてたまの休日に「自分の行う事象の中ではかなり好きに近い」サッカーをしたり、一時の娯楽としては優秀なギャンブルに手を出してみる。本当にやりたいことは依然わからないままだ。

子どもはどうだろうか。私は子を愛しているし、暴漢や暴走車が子を襲えば躊躇なく身を挺するだろう。しかし私の中では愛であって、好きとは少し乖離する。子育ては人生の最重要事項であるし、やりがいも充足感も感じているのだが。最低限飯を食える、他人様に(少なくとも経済的には)世話にならずに生きていけるようになるまでは子どもは私の責任だ。

そう考えると「自分が何が好きか把握していて」、なおかつ才能に恵まれてそれが「得意」でさらにその「好き」に没頭することで生活が成り立つような人は非常に稀だ。羽生善治元名人とかはそんな感じなのだろうか。私の陳腐な想像力ではそのくらいしか思いつかない。

まあ99.99%の人と同様、「自分に与えられた貧しい能力の中から比較的ましな得意分野を選んで」、「さして好きでもないことだが飯を食うために働く」のが自分の精一杯だろう。タイトルに比してなんとも夢のない話なのだが、現実だ。

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