好きなことで生きていく③

福本伸行先生の新作「二階堂地獄ゴルフ」という作品がある。プロ試験に何度受けても受からないおっさんゴルファーの悲哀や日常を描いたマンガだ。かなり面白く楽しみにしている。その中で「イチローが努力できることなんて当たり前、結果がでて、周りが応援してくれて喜んでくれる。これなら努力できる。それよりも結果が出なくて努力している人の努力の方が尊い」という趣旨のセリフがある。よくありそうな言葉だが、含蓄があるので少し考察してみたい。

イチローや大谷、藤井名人や羽生9段はその分野においてはまさに「1を聞いて10を知る」を地でいっていたであろう。クリスティアーノ・ロナウドは同じ時間ボールを蹴っても私の100倍の速度で上達したはずだ。それが幼い頃から中年、壮年に差し掛かるまで続いている。自分のプレーで観客が沸き、果ては人格までも肯定される。さらに上記のスタープレーヤーたちには大金と美女まで舞い降りてくる。確かにこれは努力できて当たり前ではないか。

もちろんそうしたスーパースターたちは、特に長期にわたって第一線で結果を出し続けている人たちは普段の努力の質、量ともに凄まじいものがあるに決まっているし、そもそも同じ時間野球をやる、サッカーをやる、将棋の勉強をすることすら常人には無理だ。藤井名人は将棋以外の趣味はと聞かれて詰将棋と答えたらしい。ロナウドは一日10000回腹筋しているとか。天才たちの対戦相手は同じく天才たちであり、その人たちの苦悩など我々常人には理解できない。

しかし、大谷やロナウドになれると分かっていれば、没頭できる人はそれなりにいるのではないか。同じだけの努力をこなせる人はいるのではないか。

私がサッカーを始めたきっかけは1994年アメリカW杯のロマーリオとロベルトバッジョだが、そこで「あなたは不断の努力を続ければバッジョやロマーリオになれますよ」と保証してくれればそれこそ寝る間も惜しんで努力ができただろう。

「服をきてすることの中では一番楽しい」サッカーの引退が迫っている。慢性的な足の痛みが取れず、持久力、瞬発力が落ち、FWなのに点も取れていない。引退というより強制的な退場に近い。所属チーム内でも戦力にはなっていない。人数合わせ、足がつったり怪我人が出たりしたとき要員になっている。チームメイト達は大好きだし、皆今時の若い人には珍しく、礼儀正しく気のいいやつらだ。勝利や敗北が確定した試合などは私含め高齢の選手を積極的に出場させてくれている。この現状はありがたく感謝している。私の中にごくわずかに残った選手としての想いがそれをつらくさせている。

カテゴリーを下げて同じ年齢層の選手たちと楽しむか、練習と人数が足りない時だけいくか、スパッとやめてしまうか、あるいはしがみつくか。こんなへたくそでもここまで悩めるほど好きな趣味、出会えたことに感謝すべきなのか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました