弱者の多くは助けたい形をしていない

小さな子どもがお腹を空かせていたり、雨にうたれていれば何とかしてあげたいと思う人が多いだろう。犬や猫が好きな人は、捨て犬や殺処分される子猫を救いたいと思うはずだ。

病院にくる社会的弱者と呼ばれる人たちは、「助けたいという気持ちが極端にわきにくい」存在である。寝たきりでもの言わぬ認知症終末期、老衰の終末期の患者は良い。周囲に危害を加えたり、悪態をついたりしない(できない)。生活保護の支給金の安さに文句を言い、無料で受ける医療の質に的外れな批判をする人、アルコール依存症で酔っては暴れて周囲に危害を加える人、家族に見限られ、話し相手を求めて救急外来を受診する人、タクシーを使うと金がかかるといい救急車を使う人。どれも内科医の10年選手なら経験しているはずだ。

以前にあった救急外来の患者の話だ。年末の当直の時であったと記憶している。アパートの隣人が「異臭がする」と通報があり、救急搬送された生活保護の60歳代男性である。糞尿と吐瀉物にまみれ、それも時間が経ったため体に汚物がへばり付いた状態で搬送されてきた。アルコール依存症の既往があったが通院は自己中断されており、部屋には数えきれないくらいの酒の空き缶が転がっていたそうだ。

低体温症が主病態だったが極度の低栄養、肝機能障害、誤嚥性肺炎、認知症も併発していた。この患者に行った治療、全ては書ききれない。まずは復温、輸液、抗菌薬投与、身体を清潔にすること(これは看護師が行ったが、どれほどの悪臭だったであろうか)を行う。その後も心機能の確認やせん妄の対応、肝障害のための治療など。看護師や介護士、社会福祉士はもちろんとして、医師の中でも救急医、精神科医、循環器内科医、消化器内科医、整形外科医など凄まじい医療資源、マンパワーが投入された。細かい計算はしていないが、100万円以上の治療費が使われたことは間違いない。その全てが公金である。

心臓と呼吸が止まっていなければ、そこそこの治療を受ければ60歳代は意外と回復するものだ。トイレまで歩行できる程度に10日ほどで改善した。そこからは女性スタッフへの暴力、暴言、セクハラが始まった。「誰がそんなことをしてくれと頼んだ。勝手にお前らが治療したのだろう、最後まで責任をとれ」という旨をしきりに伝える。酒を飲ませろと暴れる。退院は渋る。退院後生活が破綻し再度搬送されてくることは目に見えている。

こうなると家族と病院の患者の押し付け合いが始まる。何とか連絡がついた身内は離婚して以来30年会っていない元妻と実子だった。元妻は「DVがひどくて離婚した。まだ県内にいることは知っていたので子供に迷惑が掛からないように今日は病院に来たが、関わりたくない。患者を引き取ったり金を出すのはもってのほか」と言う(誰でもそうだろう)。結局後見人やソーシャルワーカーの介入で施設に転院していったが、どこの施設、病院も受け入れを渋り、結局2か月以上急性期病院に入院していた。

上記の患者、助けたいどころか関わりたい人は地球上に存在しないとさえ感じる。以前も書いたが私が糞尿の世話が継続的にできるなと感じるのは実子のみだ。可愛がっている甥や姪でもできればうんちのおむつはかえたくない。

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