患者の押し付け合い

肺炎心不全論争というものがある。

年とともに人間の心肺機能は衰えていく。高齢者が肺炎を起こすと心不全も併発する。これを循環器内科がみるべきか、呼吸器内科がみるべきかというのが大雑把な肺炎心不全論争の説明である。

そもそも肺炎、特に高齢者の誤嚥性肺炎などは呼吸器内科がみるべき疾患とは言えない。この高齢化社会で誤嚥性肺炎を呼吸器内科がすべてみるというのなら、とても呼吸器内科の数が足りないからだ。まあ内科医であれば誤嚥性肺炎を診療したことがないという人は少ないはずだ。

心不全の知識は当然循環器内科医の方が優れており、よい治療ができる。

ただし、心不全に至った主因は肺炎、すなわち肺の感染症であり、病態的には呼吸器内科の領域だ・・・

とまあややこしいのだが、どちらが診療してもよいと考える。抗菌薬を投与し利尿をかける。すごく簡単に言えばやるべき治療はそれだけだ。嚥下機能評価、リハビリ、心機能評価、社会調整など、やるべきことは他にもたくさんあるのだが。

ここで議論したいことは肺炎心不全論争ではなく、患者を押し付けあうその精神性についてである。

一般的に勤務医はほとんどインセンティブがない。10人入院患者をみても20人みても、給料には反映されないのである。極端なことを言うと、「患者を人に押し付け、自分の負担を減らせば減らすほど、時給が上がる」ということになる。暇なアルバイトを探す大学生のようではあるが。

さらに肺炎と心不全を併発する患者の多くは高齢者、寝たきり、認知症などである。なかなかやりがいを感じにくい人が多いのも事実だ。

私はこの患者の押し付け合いの精神性について、一つの結論を持っていて、「自分がみることで、著しい患者不利益がない限り自分がみる」ということである。理由は単純で、押し付けられるようでは患者に失礼、患者がかわいそうであるからだ。さらにもう一つ、決めていることがあり、「自分の能力を超えた症例である場合は速やかにしかるべき医者にわたす」ということだ。なんだそんな当たり前のことを、と言われるだろうが、自分で抱えすぎ、こじらせる・・・よくあること、病院で日常的に起こっていることではないか。自戒を込めて、自分でできること、できないこと、誰もできないことを見定めて診療していきたい。

もしも自分が患者を他社に押し付け、楽をする、「時給をあげる」ような医者になったときはそれは医者をやめるべき時なのであろう。

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