大げさなタイトルとなってしまいました。
人生における幸福、満足とは何でしょうか。
私は医師であり、患者さんが元気になったとき、「先生ありがとう」と言われればそれは無上の喜び・・・とまではいきません。もちろん治療が上手くいったこと、それにより他の人が喜んでくれたことはやりがいや喜びです。
では、私が治療しなかった場合はどうでしょうか。
私がその患者さんのきた病院に勤めていない、あるいは事故で長期休業中であったとしましょう。他の医師が治療します。おそらく同じかかなり近い治療をするでしょう。ほぼ同じアウトカムになるはずです。別に私でなくともよいわけです。あまりに頓珍漢な医師でなければそう変わりません。自分がそうならないために日々勉強勉強なのですが。
切り口を変えてみましょう。
内科疾患において、治せる病気は少ないです。よくみる疾患として気管支喘息、COPD、糖尿病、高血圧・・・いずれもコントロールして、寿命を縮めない治療をしています。
「あなたはもうCOPDではないよ」
とは言ってあげられないのです。コントロールした結果が出るのはすぐではありません。数年後、数十年後です。
日々の診療において、最も労力を割いている肺癌の診療はどうでしょうか。「肺癌疑いです、精査よろしく」と紹介状とともに患者が来院します。気管支鏡検査で組織診断を行い、PET/CTなどで転移していないか調べ、肺癌の治療に支障のある他の病気がないか調べて・・・
①幸いStageⅠの肺癌でした。手術あるいは放射線で治療します。よかったですね、まだ根治が見込める段階です。
この場合は治療するのは外科、あるいは放射線科の医師になります。
②残念ながら他の臓器に転移しておりStageⅣでした。根治が見込めないので、寿命や元気な期間を延ばすために化学療法をしましょう。
この場合は我々呼吸器内科の領域です。やはり治せないのですね。
難しい話をすると、Ⅳ期肺癌の成績も近年よくなってきており、治ったかのように振る舞う患者さんもおられますが、細かい話をするときりがないため、割愛します。
内科疾患の多くは治らないのです。寿命や元気な期間を延ばすために治療するのです。
やりがいはありますし、楽しさもありますが、強烈な達成感は感じにくいのです。私は呼吸器内科の診療を愛していますが、そういう性質の仕事なのです。
「仕事が楽しいです」「この科で研修できて、楽しかったです」という医師や研修医がいますが、これ、どうなんだろうと思います。「楽しい」のであれば、無給で無休でもやるのでしょうか。一切の他者からの評価や社会的な評価がなくとも仕事をするのでしょうか。あまりに極端な言い方とは思いますが、少なくとも「楽しい」というのはうちで寝そべって漫画を読んでいる時間より仕事がしたいのでしょうか。ほとんどの人はそうではないのではないでしょうか。
私は趣味でサッカーをしており、これは一円にもなりませんし(むしろ部費や用具代を払っています)、特に自分以外は誰も喜んでいません。休日にサッカーをしにいくため、妻は何歳までやるんだろうと思っているでしょう。しかし「楽しい」から一銭にもならず、ケガのリスクもあり、仕事や家族の時間がとれるはずの時間にやるのです。「楽しい」とはそういうものだと考えています。
話がそれました。それでは人生における楽しさ、満足感、喜びはどこから見出すのでしょうか。
次回、金と女(SEX)の話に移りましょう
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