肺癌終末期の患者

ある肺癌の終末期の患者の話だ。ステージ4の肺癌であり、これまで3種類の化学療法を試した。肺癌発覚から約2年。ステージ4の患者としては平均点以上の期間存命だ。3種類目の抗癌剤が効かなくなってきた。もしもすごく元気な患者であれば(肺癌が進行していることと元気であることは必ずしも矛盾しない)、エビデンスは乏しいながら4種類目の化学療法を検討するところだ。

しかし患者は元気がない。トイレに行くのにも車いす。会話は可能だが、トイレと食事の際に座位をとる以外は24時間のほとんどの時間を横になって過ごしている。自宅に帰ることもままならないような状態である。癌が進行すると貧血、疼痛、食思不振、るい痩、腫瘍熱、電解質異常、炎症、感染症など様々な身体の異常が起こり、元気がなくなる。この状態を悪液質と呼ぶ。患者もそういった状態であった。

患者本人と家族に伝える。「これ以上肺癌に対して化学療法を行うことは寿命を縮める。この先は苦痛をとる治療に専念したい。可能なら療養先を検索する。そうこうしている内にお亡くなりになるかもしれない」と。患者も家族も非常に理解が良く、「先生や病院にはすごくお世話になった。もう抗癌剤は自分でも無理だと思っている。呼吸が苦しいのだけはなんとかしてほしい」と。最低限の輸液と医療用麻薬の点滴を開始した。当然蘇生処置やその他積極的な治療はせず、食べたいものだけ食べてもらう。

たまたまこの患者がいよいよ亡くなる2日前、私の祖母が亡くなった。長い付き合いもあったので、自分が看取ることができればよかったが、もはや患者は意識がなくなっている。患者の息子に伝える。「私の祖母が亡くなりました。通夜と葬式でもしかすると患者さんの死亡に間に合わないかもしれません。代わりに〇〇先生にお願いしています」と。息子さんは「先生にはよくしてもらいました。先生は是非おばあさまのお葬式に行ってください。ありがとうございました。」と。

肺癌終末期なので看取りをお願いしますと先輩医師に申し送る。この先輩医師は腕の確かな人格者だ。通夜と葬式を終え、この患者のカルテをあける。やはり亡くなってしまっていた。その間先輩医師は、申し送りのごとく、人工呼吸器の使用や胸骨圧迫(心臓マッサージ)はしなかったものの、広域抗菌薬の投与、輸血、昇圧薬と医療資源を惜しみなく投与していた。この場を凌いでも先のない患者に。この場を凌いでも苦痛の総和が増すであろう患者に。

医療費をひっ迫させているのは患者や司法だけではない。時に熱心の方向を間違えた医師にも原因がある。このめったにない美しい医師患者関係、看取りの仕事が最後の余分な薬剤の投与によって邪魔されたような気がした。

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