肺癌終末期の患者②

医師4年目のころである。田舎の急性期病院に派遣され、呼吸器内科として勤務していた。当時はまだ専門医の資格も取っておらず、今の私がみても知識不足、力不足の医者だった。しかし田舎はどこもそうであるように、4年目ともなれば「普通の医師」として仕事をする。すなわち患者の主治医になるのだ。きた仕事や患者は断らないというポリシーがあり、患者も仕事も救急対応も増える一方であった。

その時勤めていた病院が、人間関係のいざこざに巻き込まれたこともあり、自分は辟易していた。何に辟易していたかは一言では難しいが、とにかく全てが嫌になっていた時期だった。しかし自分の感情と患者は関係がない。患者対応だけはきっちりやろうと自分を奮い立たせていた。

そんな時に入院してきた患者、Aさんとしよう。70歳代の男性だ。肺癌の終末期。抗癌剤が効かなくなり、COPDもひどく、常時酸素投与が必要だった。ほぼ寝たきりである。症状緩和を行いつつ、看取りをすることになるだろうと考えていた。

以下はAさんが自分に語った内容の要約である。

「仕事が好きだったが、息がきれてそれもできなくなった。家族を第一に考えて子どもを育ててきたが今は自宅に帰ることもできない。甘いものが好きだったが今は食欲が全くない。タバコが好きだったがここは病院だから吸うことができない。自分の病気が進行するまで、人が弱るときこうなるということが全く自分はわかっていなかった」

字面をみると悲壮感、厭世感があるが、Aさんはあまり悲壮感は感じられない。普段の回診時から冗談を飛ばすような人だった。私はこの患者さんが好きだった。そして他の終末期の患者同様、医師としてしてあげられることは非常に限定的、というかほとんど力になってあげられないのだ。

そこで私は考えた。「明日朝5時半に迎えに行きます。車いすで病院の裏にいって、桜を見ながら煙草を吸いましょう。銘柄を教えてくれれば煙草とライターを買っておきます」彼は今までにない笑顔を見せた。

人が少ない朝5時半、こっそり車いすでAさんを連れ出す。引火の恐れがある酸素を一時的に止めて、火をつけてあげる。「先生ありがとう。美味い。これ、先生が叱られるんじゃないの?」とAさん。自分は上記のごとくやややけっぱちになっていたこともあり、「そんなことはいいんですよ」と伝え、自分も一本吸う(昔はタバコを吸っていたのだ)。Aさんは続けざまに3本吸い、満足した様子。時間にして15分ほどだろうか。病棟に戻る。看護師が、「先生、Aさんとどこにいっていたのですか?いないので探したんですよ」「いや、ちょっと散歩です」と言葉少なに答える。

結局自分が患者に喫煙させたことが発覚し、師長や上司から大目玉だった。

Aさんの意識がはっきりしている時の最後の会話は「先生は煙草やめねーと、俺みたいに肺癌になるぞ」というものだった。

Aさんにしたこの喫煙療法。これよりも患者にとって良いことをした、と思えたことは少ない。桜の季節が来るたびに、その患者のことを思い出す。

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